現在の仕事についてお話を伺いました
高度救命救急センター内では救急車などの対応をする外来担当、入院したあとの集中医療室の病棟担当があり、
それぞれの領域のみの先生方もいらっしゃいますが、私は両方をやっています。専門は消化器内科なので、大学や外の病院では内視鏡業務を行うこともあります。
もちろん、ドクターヘリに乗ることもありますし、救急隊の救命士への教育、救急活動の振り返りを行う事後検証医も担当しています。
また、現在は病棟医長として病棟の責任者、副医局長として医局運営のサポートにも携わっています。
朝はカンファレンスからはじまります。
病棟の回診や看護師さんたちとの申し送り、大学病院では教授回診があり、そこでプレゼンテーションを行います。
教授からのサジェスチョンをいただいて、その後の方針を決定していると、まずあっという間に午前中が終わりますね。
午後は日中の振り返りや、追加の検査や処置が必要かないかの回診をします。
夕方までの間に、検査漏れがなかったかを確認していきますが、この業務の中でドクターヘリやドクターカーで患者さんが入ってくると、そちらへエネルギーを注ぐことになります。
当直はだいたい週に1度程度。 宿直明けは休日扱いになっているので自由な時間が持てます。
専属医か応援医かでも負担の度合いは違うんですが、当番でなければ朝は子どもを幼稚園に送ったり、家に帰って家族と夕食をする時間もありますよ。
休日に呼び出されることはないので、仕事とプライベートのメリハリはありますね。オンとオフははっきりしています。
ただ、大規模災害時は別です。
私はDMATという災害派遣医療チームのメンバーなので、例えば東京で震度5以上、その他の地域で震度6弱以上の地震があったときには、待機要請が出ます。
休日で家族団欒をしている最中でも、「もしかしたら……」と緊張が走るときはありますね。
祖父とおじが外科医、父が歯科医と、医者の家系だったので、中学生くらいから「医者か歯医者になるんだろうな」と思っていました。
歯科医か医師かという選択のとき、父が「医師になれ」と後押ししてくれたので、医学部に進学したんです。
2012年の高度救命救急センター立ち上げのとき、各診療科から応援スタッフを出してほしいという話があって、
消化器内科の教授から推薦をいただいたことをきっかけに、救急に携わることになりました。
実際に来てみると、病院前という分野だったり、災害医療だったり、救急隊とのやりとりだったり、自分が知らなかった世界がたくさん広がっていたんです。
それにすごくやりがいを感じましたね。
やはり、患者さんを助けられなかったときは辛いです。何がいけなかったんだろう、自分のせいで亡くなってしまったんじゃないかと思うこともあります。
たとえ致命的な病気や怪我があったとしても、もっと何かできることが
あったんじゃないかと。
だから次に同じような患者さんが来たときには、こうしてみよう、ああしてみようと考えなければいけない。ずっと勉強を続けていまね。
私は消化器内科医なので、自分が救急にいることで消化器内科の先生への橋渡しがうまくいったときは嬉しいですね。
消化器内科だけではなく、圧倒的に他の科の先生たちとも連携が取りやすくなったと感じているので、実際に、「先生が救急にいてくれてよかった」と言われたときは、役に立てているんだなとすごく嬉しかったです。
ひとつの診療科にいるときには関わることがなかった先生方とも繋がれるというのは、救急の魅力的な部分だと思います。
危険な状態にある患者さんに対して処置を行なって、専門的な医師につなぐことができたときには、「この人を助けることができた」という達成感がありますね。
研修医だった時代、急変患者の対応をしていた上級医の先生がダイナミックに動いている姿を見て、「自分もああならなければいけない」と思ったんです。
医師になった以上は、自分の目の前で人を死なせてはいけないという思いが根底にあるので、やはりそこが達成された瞬間が一番のやりがいを感じる部分ですね。
私は三年間在籍しているので、学会の認定専門医として
救急専門医を取りたいと考えています。この先異動があったとしても、私は内視鏡の仕事もやるし、救急医の仕事は続けていくと思うんです。
ただ肩書きが変わるだけで、きっとこのスタンスは変わらないですね。
それから、将来的に先生がどんどん増えて、
大分大学の高度救急救命センターっていいよねと言ってもらえるような医局づくりができればと考えています。
専門医、松成先生のインタビューを動画でご紹介しています。